2010年5月2日に情報番組・デキビジで白熱した議論が行われました。
そこでのゲストは今や論破王の称号にふさわしい、まさに我のいく道に論破の道あり!こと、ひろゆき氏でした。
そして今や伝説となった、この写像エピソード。
勝間氏 ダメだこれ(笑)
もし、まだその一部始終を見られていない方はユーチューブで1度、見られてから再度この記事を読まれることをお勧めします。
ここからは「見た」ことを前提に話しを進めていきます。
では、本題に入ります。
なぜ、このような写像エピソードが生まれたのかを中心に、その全貌を明らかにしていきます。
写像が脚光を浴びた事の発端とは?
このデキビジにおける、つかみのトークバトルの題材はインターネットによる実名性or匿名性におけるものでした。
お互いの主張が全然かみ合わない中、話しの論点はインターネットからリアルへ。
そして事の始まりは、まさにこれです。
インターネットからリアルの話しになっとことにあります。
それは勝間さん自身が望んで勝間さん自身がリアルな話しに切り変えたことなのだが…。
が、しかし突然、何を思いついたのか、はたまた何か都合が悪くなったのか、ひろゆきさんとの会話を一方的に閉ざすかのように、
今、インターネットの話しをしてるんですよ
と若干、支離滅裂な切り返しが。
これに対し、ひろゆきさんが、
じゃあインターネットの話ししてくださいよ。今リアルな話しされたの勝間さんですよ
このように言われたことに、いまいち納得がいかなかったのでしょう。
若干、イラっとした感じで
と勝間さんは返しつつ、
何すかシャゾウって
なぜこのような後味の悪い議論(オチ)になってしまったのか?
それはインターネットからリアルの話しになり、それがあたかもひろゆきさんが自ずとリアルな話に切り替えたかのような流れになっていたことにあります。
なので、それを否定したひろゆきさん。
しかし、それを素直に認めたくなかった勝間さんの思惑が、この「写像」に込められていました。
お待たせしました。
ココからが一番重要なポイントです。
ではなぜ、ひろゆきさんがこの「シャゾウ」に間髪入れず突っ込んだのか。
その本当の狙いは!?
【写像は物語る】ひろゆきが勝間和代に心理戦で勝利?
「写像」この稀に見るレアな言葉を知っている人はおそらく決して多くはないでしょう。
その珍しくもよく分からない言葉を用いた勝間さん。
そこには、どんな意図があったのでしょうか。
それは人というのは自分が不利になった状況や追い詰められた時というのは、わざと多くの人が知らないであろう難しい言葉や言い回しを使って、
このような心理が働きます。
時にプライドが高い人に多いとされます。
つまり、ひろゆきさんは瞬時にこの状況を見抜いていて…
と言わんばかりに、この「写像」に対してすかさず突っ込んだわけです。
そして、もし仮に勝間さんにこのような心理がなかったとしたら「写像」について簡潔にでも一応、説明をしていたはずです。
なぜなら、自身の考えに基づく正当性を理解してもらいたいからです。
しかし案の定、そのような解説は一切なく問答無用でシャットアウト。
つまり、この「写像」が思考停止を招き大事な論点から意識が逸れることに。
これが勝間さん的には功を奏し、
といった、まるで勝ち誇ったかのようなセリフと共に、あくまで自身のポジションを崩すことなく優位な展開で自身のプライドを保てたということに繋がったわけです。
じゃあ結果として勝者は勝間さん?
いや、そうとも言えませんね。
なぜなら、この「ダメだこれ」は相手に対して失礼極まりなく、そしてある意味、議論放棄です。
進行役のホストである立場の勝間さんが自らお手上げ宣言していいわけありません。
※これに関しては後日、非礼であったことやひろゆきさんや視聴者に対して大変不愉快な思いをさせてしまったとブログで述べています。
博之さんご本人に、そして、多くの視聴者の方々に不快感をもたらしてしまったことを、心から、お詫びします。
なので敢えて言うなら反則技で勝利を狙った感じですね。
つまり反則でもしないと勝てないと思わせたひろゆきさんの勝利でしょう。
でも難しい言葉を使って説明しようとすることは頭のいい人である証拠だし、そうゆう意味では勝間さん負けてないよね
写像という言葉を使うことは頭の良い証拠?
実はそうとも限りません。
むしろ頭が良いからこそ逆に難しい言葉は使わないでしょう。
本当に頭の良い人というのは何か分かりにくいことや小難しい物事に対して説明する時、基本的には誰にでも分かる言葉を用い、そしてより分かりやすく教え伝えることのできる人です。
ただ勝間さんは頭の良い人であることは間違いありません。
勝間さんの出している本は何冊も読んでいますが、どれも非常に勉強になるし、めちゃくちゃ優秀な女性であるのは確かです。
ここに断言します。
じゃあここぞとばかりに、ひろゆきさんとの議論ではてんぱってたのかもね
相手が論破王なだけに致し方無いにゃ~
じゃあ結局、写像ってどうゆう意味なの
写像とは
写像とは、そもそも数学における専門的な用語のことです。
では、この写像がどのような意味なのかについて、ものすごくシンプルに言います。
ここに2つの集合体が左右に存在しているとします。
この左の集合体の各元に対して、もう一方の右の集合体のただ一つの元に対してだけ指定して結び付けることのできる対応のことを言います。
理屈だけで言えば極めて単純ですが、やっぱりよく分かりませんよね。
例えば具体例としてインターネットのユーザーにおける写像を鑑みてみましょう。
ネット世界において1つの集合体の中の一人のユーザーがアカウントを2つ作ることはできても、もう一方の集合体の1つに結び付けて対応することはできませ。(被リンクを別々に送って紐づけるとかはもちろん可能だがここでは論外)
ものすごくシンプルに解説するとこんな感じです。
つまり二人の論点の1つでもあったインターネットにおけるユーザーとしての実名と匿名の議論には写像の概念は基本的にはないという事になります。
どうしても、この写像という言葉が重要性のあるものでこの文脈には必要とかだったら分かるけど決してそうではなかったんだね
ただ勝間さんの言う、
と言った意味合いが何を言いたいのかが、いまいちよく分からないですね。
それはきっと勝間さん自身もそうで自分で何言ってんだか途中でよく分からなくなったんじゃないかな
ダメだこれ(笑)の禁句のセリフも自分の発言も含めて収集つかなくて言ったのかもしれないにゃ~
議論終了後の感想
確かに、この二人の議論が終わった後、
このような感じのコメントを勝間さん自身がしているため、それだけ思うような議論展開が全く図れなかったとみていいでしょう。
頭の良い人でも、こと議論となると苦労することもあるんだね
まとめ
数学の世界でも、それほどメジャーな言葉ではない「写像」。
そして、この写像という全く聞きなれない言葉を世間に浸透させたひろゆきさんと勝間さん。
全く日の目を浴びなかっただけに思わぬ形での注目のされ方に写像自身もきっと驚きと戸惑いを隠せないね
それだけに勝間さんの口から唐突にも写像という言葉が出た時、ひろゆきさんよりも写像自身が自らの出現に困惑したはずにゃ~
まさに写像が全てを物語るかのように二人の議論は心理戦にもなってある意味、収集つかなくなってしまいましたw
そしてその後、ひろゆきさんと勝間さんの関係性ですが、もちろん既に和解していて二人共お互いをリスペクトしているようです。
ひろゆきさん自身、勝間さんのことを…
このようにコメントしています。
そういえばたしかに、ひろゆき・ホリエモンとコラボする論客といえば勝間和代だった時代がかつてあった。 pic.twitter.com/eCebm4n8ls
— 」d「 (@DJ_AsadaAkira) July 24, 2022
そのような対応という意味合いではひろゆきさんも勝間さんも写像的といった見解もありかもね♪
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